ミラクルクリームソーダ

いい加減にしてください

完璧になりたい

2018年も終わりますね。

わたしは一昨日仙台に帰省して、早速ライブハウスに半日篭っていました。(スッゲェ良いイベントだった) これは転換時間を利用して思いつくままに書いた文章です。ぺた↓

 

 

今年の3月から活動を始めて、初めての年越し。それとこれとはなんの関係もないのだけど。どちらかというともうすぐ1年が経とうとしているのかぁという気持ち。

うまくいかないことばかりで、というかうまくいったことなんていくつあった?ってくらい個人的には苦しかったです音楽に関しては。沢山の温かさや学びを受けて、どんどん変わってゆく自分をちょっと面白がりながらも、大半は苦しかったし今も苦しいです。音楽が好きです。それは間違いないです。でもやっぱり、好きだからこそ、自分で生み出そうとするとそれだけプライドも高くなるし理想も高くなるし、技術は追いついてないし、空回るし、苦しいことばっかでした。同情求めてるんじゃなくて。好きなことを好きなまま極めようとすることは、すごく難しいなぁってことです。ぶっちゃけまだ全然「音楽たのしー!」って思えるレベルじゃない。もう必死。必死でしかない。楽しむ余裕がない。挑もうとするハードルが高すぎてバカなんだけど絶対に跳んでみせるし、死ぬほど繰り返してきた妄想を妄想で完結させる気もないし。絶対に音楽やめないぞ。絶対に胸張って聴いてほしい!って言えるもの作れる人間になるんだ時間かかってもなんでも。目の前で歌っているチョーーーーーーーかっこいい人が年下とか同い年で悔しくて爆発しそうになる毎日だけどやめないぞ。みんなやめていくからやめないぞ。

いつまで今井憂美でいるかわかんないし、いつまで弾き語ってるかもわかんないし、私は私が「こっちの方が楽しいな」と思う気持ちに忠実に生きていくだけです。音楽というフィルターを通して人生を可視化したい、誰かの何かになりたい、"人間"として愛されたい、男とか女とか超どうでもいいんす本当に、人間、意識、言葉、音、それだけです。

 

出会い、よくしてくれた方、聴いてくれたみなさん、コソッと気にかけてくれてる方、本当にありがとうございます。私も歌っていいんだって思わせてくれてありがとう。

 

「これが完璧な私です」と胸を張って言えるように来年も頑張ります。成長指数は人一倍高いのでさっさと化けたいです。あの子は化ける、と言われながら化けず仕舞いだったあの頃とかもう全部払拭したいです音楽で。

 

お世話になりました。良いお年を。

 

 

クソ真面目は得をしない

「そんなに真面目にやらなくていいよ。」

 

あらゆる瞬間、事あるごとに言われてきた言葉だ。わたしはそのあたりの「加減」がわからない。

別に特段真面目にやっているつもりはない。与えられたものに誠意を持って向き合おうとしているだけだし、それがわたしにとってはあたりまえのことだ。すべてあたりまえの熱量でやってるつもりだ。ていうか、テキトーなものを提出して「これがわたしです」って思われるのが嫌なのだ。割と「デキる人間」として生きてきたから。クソつまらんプライドでしかないのかもしれない。「こんなのテキトーに書いて出せばいいじゃん」の「テキトー」がどれくらいのものなのかわからない。どんなに無意味でどうでもいいものでも、例えば文章を提出するならそれがきちんと文章としての体を平均点以上で保っていなければ絶対出したくない。

でも、それが何の付加価値も生まれない事案だった場合、わたしは他の人より無駄な時間と労力を費やしただけなのだ。そりゃわたしの頭の回転がほんの少し速くなったり、文章能力がほんの少し高くなったりすることはあっても、なんかそういうことではないのだ。「わたしは何してんだろうな」って急に悲しくなる瞬間がある。こういうこともいわゆる不器用なのだろうか。身の回りにはいつもあまりにもいろんな物事が溢れすぎている。全部を正面キャッチで投げ返すドッヂボールじゃ1人で疲れてしまう。避けりゃいいのにさ。全部取ろうとすんの。そんで体力なくなって受け止めきれなくて外野に回る時にはもう内野に戻る気力すら失って端っこに立ってんの。バカじゃん。外野で再起不能とか超ダサいやん。無理。

私の苦しみは私だけのものだし、他人と比較しても意味ないのはわかってるんだけど、それでも出会った人たちの中には本当に本当に苦しい中をもがいてもがいて生きてきたかっこいい人たちがたくさんいて、「こんなことで悩んでる私なんて」って思ってしまうのはどうしてもある。そういうとこも含めてクソ真面目が過ぎる。ていうかこれだけのことのために1000字とか書いてるあたりもキモい。

すべてを真面目に完璧にこなすには体力がなさ過ぎる。メンタルが足りなすぎる。強くなりたいなぁ。完璧じゃないなんて無理です。完璧のキャパシティなんて日々変動するし私の場合それがめちゃくちゃ右肩上がりだけど、いつだってMAXキャパシティ埋め切らないと意味がない。他人から見たときがもし80でも60でも全然いい、私が100だと思ってれば。私が100だと思うことが最も大切で、それこそが完璧なのだ。わかりますか、わからないですか、どっちでもいいです。とにかく私は私が完璧じゃないことが無理。物理が永遠に完璧になれないから脳内から外界へ出るものすべて完璧に美しくないと無理。誰もそんなに求めてないのにねー。バカみたい。バカなんだなー。

 

 

最近すべての嫌悪感や悪態を総じてポップにできる魔法の言葉にハマってるからみんなにも教えてあげるね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うんこ

 

 

 

 

 

謝れる人間でいたい

謝れる人間でいたい、と思う。

 

すぐ気付ける人間でいたいな、と思う。

 

 

いつもの思考回路を少しサボってしまった結果、すごい勢いですごく感じの悪い言葉を放ってしまった。言った瞬間自分の中の校閲が「あ、これはダメなやつですよ」と警告を出した。その場でもとっさに謝って、一旦落ち着いて考えて、その少し後改めてもう一度謝った。結果「ぜんぜーん♩」って感じだったので良かったのだけど。(年上の懐‥泣)

言われた側が本当にイラっとしたりショックを受けていたとしたら、謝罪は早ければ早いほど溝を作らない。逆にこちらが思うほど大して何も思っていなかったとしても、その姿勢を示すことで不快に感じる人もいないだろう。

一般的には逆なのかもしれないけれど、大人になるにつれて「自分が悪いと思ったらすぐ謝る」が出来るようになってきた。

 

人と揉めることがクソほど嫌いだ。1番着地点に困るし、長期戦のめんどくささを生むし、修復が鬼難度だからだ。5倍速青鬼より難しい。(ゲーム実況の見過ぎ)

だから自分がその人を好きとか嫌いとかは置いておいてとにかく人当たりは良くあろう、波風立てずに人付き合いしようという意識が強い。いろんなこと一気にやるのは得意じゃないけど、出来るだけ周りを見るように気を付けているし、無意味に怖い印象持たれるのも嫌だから基本的にニコニコほにょほにょしている。

でもそういう社会に生きるための基本武装を取っ払った自分というのは多分すごく冷たくて、排他的で、白か黒かの世界にいる。だから、いつもの思考回路をサボるとときたま「鋭利な失言」をしてしまう。超感じの悪いことを言ってしまう。人を殺したいとか犯罪的なこととか過激なことはあんまり思わないんだけど、でも多分結構ひどい性格だと思う。性格良くないよね、と言われると安心する。それをわかって付き合ってくれてんだなーって。笑

逸れた。「これは言っていい」「これは言い過ぎ」の線引きは割とちゃんとしているつもりなのだけど、「あっ」と思ったタイミングでうまく言い出せないまま流れてしまって、結果フツーにデリカシーない奴でしかなくなってしまったパターンもあるし、もちろん気付かない部分で誰かを傷つけていることもあるのだろう。その場で何も言わずにニコニコ飲み込んでくれている人もいるのだろう。私もそうするからだ。

 

私の中に住む人格で最古参の、根っこにいるイマイという人間が思考を経由せずに発する言葉がとてつもなくダメな奴であることを私は知っている。制御できない時があっても知ることはできていて良かったなぁと思う。

 

他人を傷つけたくないんですよほんとに。思ってるんです。傷つくことを知っている人ほど他人に優しくなれるよ♡みたいな軽率な発言クソ嫌いなんですけど、私は言葉で傷つけられたことは割とあるのでやっぱり、わかる。つらいよね。なのに自分も他者を傷つけやすい人格だから、出来るだけ早く自分の非は認めてマキロンや絆創膏を差し出せる人間でいたいの。

 

 

 

論点そこじゃねぇよ、文章読解能力皆無かよ、みたいなクソリプには誠意を持って抗議するけどな!!!!!!うんこ!!!!!!!!!

 

 

 

最後に言いたいことは、キヨの高速青鬼実況しぬほど笑えるので見て欲しいです。

 

【実況】最凶の5倍速青鬼が怖すぎる『 超高速青鬼 』#1 - YouTube

 

よーし 仕事がんばるぞお

 

 

 

 

 

 

もう誰のせいにもできない

本当に嫌になる。自宅にて1人呻いている。久しぶりに音楽すら受け付けなくなって停止ボタンを押す。喉が詰まる。あの頃に戻ったみたいに。何も考えたくないからさっさとシャワーを浴びよう。立ち上がる。ベットにアウターを引っ掛けたままだ。クローゼットに仕舞わないと。雑に掴んでクローゼットの扉を開けようとしたところでもうダメだって気持ちがピークに来てそのまま扉にもたれかかった。意味もなく白い天井の角を眺めて呻き続けた。呼吸が浅い。ちょっとして涙も出てきた。意味がわからない。誰も私をいじめてなどいないのに。

あの頃はこれらの症状全てを「職場のあいつらのせいだ」にできた。今はもう誰のせいにもできない。私が他人のなんでもない言葉に過剰反応して勝手に自分の首を締め上げてこうなっているだけだ。転んだ数は治っても、記憶の傷は永遠に埋まらないのだ。こんな情緒にしてくれたあいつらめ、と思うことも出来なくはないけど時間は進んでいる。押し付けるにはもうちょっと遠すぎるのだ。私が勝手にすべて悪い解釈にしているだけだ、被害妄想だ、酷いのは私の方だ、私は酷い奴だ、苦しい。その無限ループが部屋中に満ち満ちている。胃酸は上がれど吐けるわけでもなく、数日前までの いける!感はどこへ行ったのか。果てしなく絶望している。私は死ぬまでずっとこの調子なのか。部屋の外に出れば社交モードに切り替わるし、感情の感度が著しく下がるからそれはそれで上手くやっている。楽しければ普通にテンションも上がる。ただこの部屋にいる時の私のことは誰も知らない。全然元気じゃんこいつって思われてるんだろうな、っていうかその時は多分元気なんだ普通に。その乖離にもまた苦しくなる。無理矢理上手く回すためにあらゆるところで無意識にキャラ設定をして結局自分が苦しくてばかみたいだ。でもギスギスするのがとにかくストレスだからキャラ設定も不可避だ。どこへもいけない。そしてこれを話したところで当事者問題だから当然理解は得られないしこいつ少し(というかもはやかなり)めんどくさいなのレッテルがついて終わりだ。哀れすぎる。悲劇のヒロインとか死ぬほどなりたくないけど普通に哀れ。自分が。哀れ。さっきあんなに美味しかったおでんのことなんてもうこれっぽっちもなんとも思えないし、さっきブワーーーッて脳内を駆け巡ってこれツイートしようと思ったこともツイッターを開いている数秒の間に記憶から飛んでしまった。検索しようとしてSafari開いてるあいだに何検索しようとしてたか忘れてしまった。このあからさまな記憶力低下も完全に引きずり戻されている。ふざけんなやめろ。

しかもこんな記事誰が読みたいと思うんだ。ゲロすぎではないか。でもこれはなんかゲロ帳(自分専用ブログ)に投稿してもなんか違うのだ。不快感を与えてたらごめん。なんかもうほんといろいろごめんなさい。期待してくれてる人が少なからずいるのにこんなゲロいことしか書けなくなっててすごいヤダ。んで明日になったらケロッと おはよー!とか言うんだ。にこやかに おはようございまーす ってデスクに座るんだ。こわ。こわすぎ。

頭も痛くなってきた。夜の思考回路はダメなことくらいわかっているのだけど夜行性体質は一向に治らないからもう踏んだり蹴ったりで、それでも人生を諦められないグズグズ具合、このグズグズが正しくガソリンに変わればいいのに車体の燃費悪くしてるだけなんだもんなふざけんな。何をやってもダメな気持ちになってきてスゲーやだ。

 

それでも昨日意地でアップデートしたパソコンは起動しないと悔しいからがんばる。毛布に包まってがんばる。この夜を乗り越えたい。

 

ごめんなさい

 

ありがとう

 

おやすみ

 

 

しみ○んの話とか

福島発祥のB級グルメ?の 凍天(しみてん) というものがある。

凍天、お祝い一升餅の販売店|祝い餅・一升餅の通販なら|もち処木乃幡

 

私はこの凍天が大好きで、上京前 仙台駅構内の店舗で自宅へのお土産としてちょくちょく買って帰っていた。(電車の中でやや匂う)

安売り情報とかが入るので、凍天のラインアカウントを友達追加していて、東京にいる今も受信し続けてるんだけど、先日画面上にピロンって通知が来て目をやった時に

 

「しみけん木の幡 仙台駅店」

 

に見えてしまったという話。

空目するほど しみけん が脳内に認知されてる自分になんともいえない気持ち(?)になった、いや、しみけんさん(AV男優)すごい人だと思ってるけどね。知性があって視野が広くて。内容的に嫌な人にはアレなのかもしれないけど、私は結構 そうなんだー!って感心して彼のツイッター読んじゃう。フォローしてないけど。定期的に検索する。笑

 

それだけ〜〜〜

 

凍天食べたことない人 東北に行ったら是非食べてくれよなッッッ!

 

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気になってから聴くまでのタイムラグが宇宙レベルに遅い病気なので、今更Eveがヤバい。

 

ドラマツルギー - Eve MV - YouTube

 

クソかっこいい。

まんまとど真ん中ストレートストライク決まって悔しい。

 

イントロでもう確信してしまう、わかりやすくタイプな曲調だ。悔しい。してやられた感が悔しい。エサの上に罠があるのわかってるのに耐えきれず食べに行って捕まるような悔しさ。

 

ボーカロイドの声で曲を聴くのはあまり得意じゃないのだけど、ボカロP特有の粒のくっきりしたメロディとかガチャガチャ チャキチャキしたサウンドはめちゃくちゃ好きで。だから人が歌ってるともう最強にツボ入る。やられた。殺される。

 

じん のこれとかも最高に好き。

じん ft. LiSA & メイリア / 夜咄ディセイブ 【Anime Music Video】 - YouTube

 

特に着地点はないんだけど。笑

この「殺される感覚」を定期的に摂取しないとやってらんないよね生活。すばらしい音楽があふれていて幸せですわたしゃあ。

 

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神様の新譜をフラゲした帰りにこの夏最強に惚れたバンドがメジャーデビュー決まってもうやってらんねぇや。アドレナリンと絶望感が止まらねぇや。

そんな私はというと、夏からずっと構想してたことの下準備がようやく整ってきて、この冬はスーパークリエイティブモードに入るよ。物理的な意味で。そして進化するよ。もしかしたらすっごい方向転換さえしてしまう予感がする。自分の適性が見えてきたというか。

 

アーーーッ いろいろ話しすぎてしまう自分が本当につまらなくて嫌いでさ、言わないように頑張ってるんだけど難しいね。笑

 

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年末は帰省するのだけど、久しぶりに仙台でライブを見に行く予定が入ってとってもわくわくしてる。しかもまだ行ったことない会場。私の知らない仙台が待ってる。

 

地元を外から見るのは、地元を出た人にしか出来ないからさ。出るのが正義とかそういう話でもないけど、私は地元出て本当に良かったなって思うよ。この性格であの中に篭っていたらどこにも行けなくなってた。私はね。

 

好きなところで好きに生きていけばよい!

 

 

 

 

あ、12/7にライブが決まりました来て欲しいです!!!!予約を!!受け付けています!!

 

とても綺麗な会場だよ〜!

最寄りは駒沢大学駅です!アクセスちょうどいい人とか是非!

 

 

 

では、クリエイトしてきます。

またねピュルルルン

 

 

そして何も言えなくなった

先日、近所に住む大学時代の友達と深夜のデニーズ会をした。気付いたら時計は朝4時に迫っていた。2時を超えたあたりから自分のいろんなものが垂れ流しになる感覚だった。猫を被れないというか。そもそもこの子に対して猫は被っていないが。

 

会話の中で私は何気なく「私、憎しみで生きてるからさ」と言った。そして言った瞬間「え?そうなの?」と自分に驚いた。

憎しみに生きる、という選択は、人生の主役を自分ではなくしてしまっている。都合の良い言葉を並べても、その裏には復讐してやりたい気持ちや見返してやりたい気持ちが渦巻いている。醜い。悔しさが原動力になるのは確かだが、それに人生を飲まれているとしたらそんなのは絶対に嫌だ。

何日経ってもその夜の自分の言葉がずっと抜けていかなくて、今もぐるぐるしている。何度もブログを書こうとしたが、どんなに回避しようとしても、書けば書くほど外の世界への不満や苛立ちにまみれていった。悲しかった。結局自分も他者を貶めて自分を上げようとする浅はかで低俗な人間なのだと絶望した。最低だ。

こんなことを言っている暇があるならそんな世界を変える何かを生み出す努力をしろよ、いちいち吊るし上げに行ってどうするんだ。御託を並べるな。それを変換しろ、書け、歌え、作れ。

 

 

なんて思っていたら何も言えなくなってしまった。

 

 

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さっき、1年ほどお世話になっている人が本を作ったとのことで読ませていただいた。この職業で本を出すとは珍しい!と思ったが、まぁ芸術に近しい仕事ではあるし、納得。読んでみたところ私の人生観にとても近いものがあり、ふむ!となった。(語彙) やはり形にすることは大切だし価値があるなと再認識。

 

自分が音楽活動してること、私生活の知人?には話していないのだけど、その本の話の流れで初めて近い人に教えた。完璧主義拗らせ女だから、詳細は私がもっと大丈夫になったら言いますって濁してしまったけど、すごく背中押してもらった。

 

案外、言ってしまったほうが楽なのかなぁ。自分に期待しておきながら周りの目を気にしすぎで困る。

 

 

でも

 

 

やれるぞって気持ちにはなってきた!

 

 

いま興味のあること

・弾き語り以外のバンドとかラップとか

・本(これは構想中)

・ファッションに関わる何かしら

・誰かとラジオの何かしら(コラボツイキャスとかYouTubeに上げる系のやつでもいい)

・カメラ(撮るも撮られるも)(慣れたい)

 

 

知らない自分に出会い続けたいね。

だから地元を出たんだろ、しっかりせえ自分!

 

 

ひとりごとでごめんね。

 

今日の夕飯は何にしようね?

やさしい気持ちで布団に入れますようにー。

 

 

 

馬鹿げている

至極まともで真面目で、何不自由なく育ててくれた両親がいて、仲の良い弟がいて、良い親戚もいて、恋人はいないけど信頼できる友達がちゃんといて、今の職場はみんな優しくて、私の言葉や歌を良いと言ってくれる人がいるというこの幸せを受けて、私は自分に絶望する。

貯金などほぼないし、なんなら大学生の頃より余裕ないし、同級生との収入格差は開くばかりで、遊ぶたびに少し苦しい気持ちになる。けれど、毎日仕事に行き働くことができて、月給を得ている。親の仕送りはもうもらっていないし、東京で自立して生活している。充分なのではないか。客観的に見て、これは充分よくやっているのではないか。それでも私は自分に絶望する。

与えられているものに対して自分は同等のものを返せていないということが情けなくて耐えられなくて泣いてしまった。テレビすら黙ったままの無音の部屋の真ん中で、今の己の存在価値を問うて悲しくなってしまった。

いてもいなくてもいいような今の私が割りに合わずこんなにたくさんのものをもらっているのに、私はそのひとりひとりに何を返せたというのだろう。これから返すんだよ!とかそういうことじゃないんだ。現時点でもっと返していなければならないんだ私の自己基準において。私は何をしているのだろう。大きな幸せを享受するとその裏側で「もう失われてしまったあの人より私は真っ当に生きているのだろうか、この幸せを受けるだけの資格が私にあるのだろうか、生き残るべきは私でよかったのだろうか」がずっと渦巻いている。多分間違っていないし、十分に真ん中を歩けているはずなのに、なぜこんなにも絶望してしまうのだろう。なぜこんなにも自分を締め付けているのだろう。心底馬鹿げている。

跳べそうなハードルから順番に跳んでゆけば良いだけなのに、なぜ私は常に今の身の丈以上のハードルの前に立ってしまうのか。現時点跳べる見込みのないハードルに無謀にぶつかっては見事弾き返されて落下した地面で"跳べない、跳べない"と泣いている。馬鹿げている。というか馬鹿である。それは気付いているのだ。

 

完璧じゃない自分に耐えられない。

学校の課題も芸術作品もいつだって今作れる最高の状態で提出できなければ許せないし、もらったものと同じだけのものを返せないと耐えられない。相手がどうこうではなく自分が耐えられない。許せない。人への恩も同じ。自分が許せない。こんな思考回路の人間が永遠に完全や完璧などといったものに到達できない、正解も頂点もない芸術という枠組みで戦うことを選ぶのは最も地獄な道だと思うし、違う選択肢をとれるのならとっくにそうしていた。私に他の選択肢は見つけられなかった。だからやるしかないのだけど、そこに溢れる不完全に耐えられない。ひと匙でも疑いを掬ってしまったらもうそれを信じられない。無謀な完璧主義に対して勘違いする能力あるいは根拠なき無敵感のようなものが割に合わず私は私を殺したくなる。

大切に大切に育てていたものがある日突然可愛くなくなって殺してしまったり、お墓を掘り起こしたら素敵なゾンビが出てきたり、当たり前だけどなにひとつ理論も筋も通らない。二択で言うのなら多分私には向いていないことなのだろうと思う。

 

「それでも。」

と思うのは、やりたいというより出来るようになりたいからだ。惜しみない恩返しをするために。これが出来るようになった自分は結構面白いんじゃないかって、それだけは思うから。自分を許せるようになるために自分を許せない毎日を重ねるなんてどんなパラドックスだよと思うけどマジで無理なんだ、許せる未来が存在すると信じないと。

その考え方で生きるのしんどくない?疲れない?大変じゃない?めっちゃ言われるし、自分でも本当に損な性格だなと思うけれど、少なくともバカではなくて良かった。人として。高密度な人間でありたいのだ(物理的には軽くなりたい)。

 

生きれる分はしっかり生きていこうな。