ミラクルクリームソーダ

いい加減にしてください

クソ真面目は得をしない

「そんなに真面目にやらなくていいよ。」

 

あらゆる瞬間、事あるごとに言われてきた言葉だ。わたしはそのあたりの「加減」がわからない。

別に特段真面目にやっているつもりはない。与えられたものに誠意を持って向き合おうとしているだけだし、それがわたしにとってはあたりまえのことだ。すべてあたりまえの熱量でやってるつもりだ。ていうか、テキトーなものを提出して「これがわたしです」って思われるのが嫌なのだ。割と「デキる人間」として生きてきたから。クソつまらんプライドでしかないのかもしれない。「こんなのテキトーに書いて出せばいいじゃん」の「テキトー」がどれくらいのものなのかわからない。どんなに無意味でどうでもいいものでも、例えば文章を提出するならそれがきちんと文章としての体を平均点以上で保っていなければ絶対出したくない。

でも、それが何の付加価値も生まれない事案だった場合、わたしは他の人より無駄な時間と労力を費やしただけなのだ。そりゃわたしの頭の回転がほんの少し速くなったり、文章能力がほんの少し高くなったりすることはあっても、なんかそういうことではないのだ。「わたしは何してんだろうな」って急に悲しくなる瞬間がある。こういうこともいわゆる不器用なのだろうか。身の回りにはいつもあまりにもいろんな物事が溢れすぎている。全部を正面キャッチで投げ返すドッヂボールじゃ1人で疲れてしまう。避けりゃいいのにさ。全部取ろうとすんの。そんで体力なくなって受け止めきれなくて外野に回る時にはもう内野に戻る気力すら失って端っこに立ってんの。バカじゃん。外野で再起不能とか超ダサいやん。無理。

私の苦しみは私だけのものだし、他人と比較しても意味ないのはわかってるんだけど、それでも出会った人たちの中には本当に本当に苦しい中をもがいてもがいて生きてきたかっこいい人たちがたくさんいて、「こんなことで悩んでる私なんて」って思ってしまうのはどうしてもある。そういうとこも含めてクソ真面目が過ぎる。ていうかこれだけのことのために1000字とか書いてるあたりもキモい。

すべてを真面目に完璧にこなすには体力がなさ過ぎる。メンタルが足りなすぎる。強くなりたいなぁ。完璧じゃないなんて無理です。完璧のキャパシティなんて日々変動するし私の場合それがめちゃくちゃ右肩上がりだけど、いつだってMAXキャパシティ埋め切らないと意味がない。他人から見たときがもし80でも60でも全然いい、私が100だと思ってれば。私が100だと思うことが最も大切で、それこそが完璧なのだ。わかりますか、わからないですか、どっちでもいいです。とにかく私は私が完璧じゃないことが無理。物理が永遠に完璧になれないから脳内から外界へ出るものすべて完璧に美しくないと無理。誰もそんなに求めてないのにねー。バカみたい。バカなんだなー。

 

 

最近すべての嫌悪感や悪態を総じてポップにできる魔法の言葉にハマってるからみんなにも教えてあげるね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うんこ