ミラクルクリームソーダ

いい加減にしてください

履歴書に傷がつく

って、なんなんだろうな。傷って。

 

職歴に ん? って感じの部分がある人。

そこに 無責任な理由で短期退職を繰り返しました!などと明確な内容が示されるのならば、それはその人の信用性に大きく関わることだし確かに傷ではあると思う。あくまで自傷行為、まぁお前が悪いよねって感じだが。とか言っても基本的に履歴書に退職理由は記されないし、クビにされたでもない限り理由などいくらでも捏造できる。

で、今回書きたかったところなのだが、もしその転職が己の命を守るための選択だったのなら?耐え続ける価値もないような場所から命がけで脱却しようとした結果なら? むしろそれは勇気の証であるべきなのに、それが履歴書に記されることはないし、面接でそれを正直に話すと微妙な顔をされる。

私の場合の話だけど、私は新卒で入った会社が入ってみたら本当にクソで(もしこれをいつかそこの社員が見たとしてもどーでもいい私たぶんあの人たち一生嫌い)、情緒が激しく不安定になってしまったのでクリスマスイブ精神科に駆け込んで1年足らずで仕事を辞めた。いわゆる鬱状態だった。最初精神的な理由は濁して辞めたいですと言ったら、人が足りないから今は無理だと逃げるように流されて あ、これはクソだわ と思ったけどこのまま続けたらクソだと思える脳みそすら死ぬので、診断書もらって正直に病状を伝えた。ここで驚くべきは診断書が出ているにもかかわらず「他にもいるよ、私も昔は薬飲んでた」とか「今本当に人が足りなくて云々」とか訳のわからないことを言われたことだ。人が足りないのはこの会社に魅力がないからで私の責任じゃない。お前が薬飲んでたことと私の苦しみは別問題だろ。ていうか鬱社員が蔓延してることに危機感はないのか。だから人足りないんじゃないですか。馬鹿なの?って感じだ。なんかもう呆れて悲しくなってしまって真顔でだんまり決め込んで(よく怖いと言われるので結構おっかない顔してたと思う) 最後に「一回持ち帰っていいスか(圧)」って言ったら翌日電話が来て辞める動きを見せてくれて、ようやく退職にこぎ着けた。辞めるとなって風当たりは少し強くなったけど、元々嵐みたいな暴風だったのでもうどうでもよかった。この嵐が過ぎ去る日がわかっているだけで乗り越えられた。新卒で1年も経たずに辞めることはいわゆる「職歴に傷がつく」というやつに当てはまるのであろうこともわかっていたけれど、そんなことは本当にどうでもよかった。

そして仕事を辞めて悪の根源が絶たれた瞬間いろんな症状が落ち着いて、退職1ヶ月くらいで投薬も辞められた。でも、それでも、今も電話の発着信が極端に苦手だし、低気圧が来ると全ての感情が死んで床に転がって何も出来ないまま日が暮れてしまうし、元々強迫的だった性格が悪化して自分の行動ひとつひとつを厳しく採点しては あれは不快に思われたのではないか 感じが悪かった 嫌われたのではないか そんなことばかり考えてコミュニケーションに疲れてしまうことも増えた。これ多分ずっとこのままなんだろうなと思うとすごいゲンナリする。心が感じ取ったものは一生ものですよ良くも悪くも。ほんとクソ。

そんな背景があっての転職活動で、どこまで本当のことを言うべきか迷った。ある有名保険会社の面接で、保険会社ならそういう理解があるのではないかと思い大枠は正直に話した。「でも今はもう元気なので問題ありません」と強調して。でもその時明らかに先方の表情が曇ったし、あぁそういうタイプ… みたいな雰囲気を出された。と、私は感じた。もちろん落ちた。それだけが理由じゃなかったかもしれないけど、あんなあからさまに微妙な顔されたらそうとしか思えないじゃんか。

それ以降は一切正直に話さなかった。良いように誤魔化した理由で面接を受け続けた。疲れて1ヶ月くらいだらけた。そもそも髪を暗くしてスーツでお互いに綺麗事と嘘だらけの面接してっていう日本の就職活動システムが大嫌いな私にとって転職活動は、転職活動そのものにプラスされた個人的な不快感で本当に地獄だった。私の20数年をたかだか30分ちょいで理解されてたまるかっていうかわかるわけねぇだろと。嘘のつき合いでこの先何年何十年も勤める会社選べるかっつーの。この頃両親に私はこういう考え方しかできないって話したことがあるのだけど、母親には「貴方みたいなタイプの人はいつの時代にも少なからずいるものだけど、残念だけど今はみんなうまく折り合いをつけてやっていくしかないのよね。雇われに向かないタイプなのかな…起業するしかないんじゃない?笑」みたいなことを言われた。なるほど。そうだよねぇ。少数派のために世界は変わりませんもの。かと言ってそれを変えることそれ自体に人生を捧げたいわけでもないし。そして今に至る。

なんだかんだで辿り着いた今の職場はとても平和で環境にも恵まれていて、前職が社会の全てだった私は衝撃的だった。こんなに優しい社会もあるのかと。他を知らない、って怖いなと思った。基準がそこしかないから、そこにハマれない=自分は使えない人間って解釈になってしまう。全然そんなことはない。どう頑張ってももう無理だ!と思ったらそれは自分がダメなんじゃなくて「合わない」だけなのだ。自分が1番フィットする、生き生きできる場所を探すためならば職歴がびっしりだって別に良いじゃない、むしろひとつしか知らない人よりもある意味豊かな人生だと思う、私は。もちろん一か所で長く続けていける人も素晴らしいと思うけれど。長く続けないと積み上げられない関係性とかもあるし。あと純粋に収入とか。

ただ、転職を繰り返すことそのものを「傷」って扱われるのには違和感があるなぁという話。そのとき自分がいる場所でしっかりと誠意を持って働いているのならそれでいいじゃない。

こんな話をすると親には渋い顔をされるのだけど。当たり前か。まだ社会人5年もやっとらん甘ちゃんの言うことだものな。ただ、20代前半の私はそんな風に感じて生きてるということは事実だから。5年後、10年後の私は今の私をどんな風に思うんだろう、ね。

 

毎日こんなことや人の生き死にのことばかり考えて生きている。毎日そんなんばっか考えてて疲れない?損じゃない?そんなに考えなくても。考え出したら病むから考えるのはやめたよ。いろんなこと言われたけど、だって最後絶対死ぬよ。それ、確約だよ。目を逸らし続けていざ死にますって時に アーーーッ気付いてたのに!ってなるの嫌じゃん。考えることやめたら私はもう生きてんのも死んでんのも変わらない。頭使わなくなったら死ぬ。呼吸したままで死ぬ。うまくいくとかいかないとかじゃないんだ今を打破しようと思考することそのものに価値があるし、今すぐ何か起きなくてもそういう思考の繰り返しを積み重ねないと新しいきらめきなんて絶対掴めないし成長なんて見、込、め、な、い、私は何もない毎日でも一つ一つ積み重ねて生きてきたことそのものに価値があってそれだけでかっこいいんだみたいな歌を歌っていてそれは私自身の今の小さな生活を肯定したくて書いたんだけど、そこには「考えること」に対する気持ちも込めている。1時間一生懸命考えたって時給は発生しないし半日缶詰で鍵盤叩いてもなーんも変わった感じしないことの方が多い。そしてもちろん他人から見たらなおさらほんとになーーーんも変わってない。そう、なーーーんも変わらないんだ私が何をしようと考えてようと!ってことを考えて。重ねていく、変化をなかなか可視化させてくれない日々を、それでもいつか視界が開けるその日を待って今を戦う静かな日々を認めたい。

 

ワァ すーーーごく話が逸れてしまった。

 

とにかくね、ひとつのことを長く続けることは素晴らしいことだしそれ自体がとんでもない才能だと思うけれど、逆に「続けられないこと」が必ずしもダメなことという理論は成り立たないと思うって話でした。

 

今日はこれから最近気になっている某バンドのライブを見に行く。小さいハコ久しぶりに行くから楽しみだな。

 

7月過ぎるの早い、無理、夏、秒で終わる、無理、すごい速さで夏は過ぎたがベイベーラララララララーになってしまう、無理、ギャ!親しき人々とステキな夏したいな!即席の夏など要らぬのだ!良い夏にしたい。