ミラクルクリームソーダ

いい加減にしてください

そして何も言えなくなった

先日、近所に住む大学時代の友達と深夜のデニーズ会をした。気付いたら時計は朝4時に迫っていた。2時を超えたあたりから自分のいろんなものが垂れ流しになる感覚だった。猫を被れないというか。そもそもこの子に対して猫は被っていないが。

 

会話の中で私は何気なく「私、憎しみで生きてるからさ」と言った。そして言った瞬間「え?そうなの?」と自分に驚いた。

憎しみに生きる、という選択は、人生の主役を自分ではなくしてしまっている。都合の良い言葉を並べても、その裏には復讐してやりたい気持ちや見返してやりたい気持ちが渦巻いている。醜い。悔しさが原動力になるのは確かだが、それに人生を飲まれているとしたらそんなのは絶対に嫌だ。

何日経ってもその夜の自分の言葉がずっと抜けていかなくて、今もぐるぐるしている。何度もブログを書こうとしたが、どんなに回避しようとしても、書けば書くほど外の世界への不満や苛立ちにまみれていった。悲しかった。結局自分も他者を貶めて自分を上げようとする浅はかで低俗な人間なのだと絶望した。最低だ。

こんなことを言っている暇があるならそんな世界を変える何かを生み出す努力をしろよ、いちいち吊るし上げに行ってどうするんだ。御託を並べるな。それを変換しろ、書け、歌え、作れ。

 

 

なんて思っていたら何も言えなくなってしまった。

 

 

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さっき、1年ほどお世話になっている人が本を作ったとのことで読ませていただいた。この職業で本を出すとは珍しい!と思ったが、まぁ芸術に近しい仕事ではあるし、納得。読んでみたところ私の人生観にとても近いものがあり、ふむ!となった。(語彙) やはり形にすることは大切だし価値があるなと再認識。

 

自分が音楽活動してること、私生活の知人?には話していないのだけど、その本の話の流れで初めて近い人に教えた。完璧主義拗らせ女だから、詳細は私がもっと大丈夫になったら言いますって濁してしまったけど、すごく背中押してもらった。

 

案外、言ってしまったほうが楽なのかなぁ。自分に期待しておきながら周りの目を気にしすぎで困る。

 

 

でも

 

 

やれるぞって気持ちにはなってきた!

 

 

いま興味のあること

・弾き語り以外のバンドとかラップとか

・本(これは構想中)

・ファッションに関わる何かしら

・誰かとラジオの何かしら(コラボツイキャスとかYouTubeに上げる系のやつでもいい)

・カメラ(撮るも撮られるも)(慣れたい)

 

 

知らない自分に出会い続けたいね。

だから地元を出たんだろ、しっかりせえ自分!

 

 

ひとりごとでごめんね。

 

今日の夕飯は何にしようね?

やさしい気持ちで布団に入れますようにー。