ミラクルクリームソーダ

いい加減にしてください

10年分の答え合わせ

もう1週間前の話なのだけど。

久しぶりに下北沢に降り立った。

駅の工事が終わってから来るのはまだ2回目で、いまいち落ち着かない。というか迷子。駆け込みカレーフェスで賑わう改札で待つこと数分、隣のピーコックから小走りで現れたキャワイイ女の子は私の中学の同級生だ。

この子と会うのは3年ぶりであり10年ぶりだった。というのも、在学中の私たちは「共通で仲の良かった子の友達」という繋がりで挨拶程度の関係。卒業後ももちろん個人的に連絡を取ることもなかったし、成人式の同窓会でも顔を合わせた記憶がない。しかし大学4年の夏、それぞれ東京で就活をしていた私たちは偶然にも原宿のとある路面店の中で遭遇する。道がわからず涼しい通路でGoogleマップを見ていたとき、ふと顔を上げたら目の前に知っている子がいた。目が合って「あれ?!?!」となるまでの絶妙なタイムラグは外国との中継のようだった。その時は軽くお互い頑張ろうね〜くらいの感じで別れた。

結果として私は半年後に上京し、彼女は地元で就職したので、その先もずっと関係に進展はなかったのだけど、ツイッターやインスタグラムはずっとお互いにフォローしていた。歳を重ねればライフスタイルも変わる。私たちはそれぞれがバンドを追いかけるようになっていて、それをお互いに知りながらも平行線の関係だった。

そして3年が経った今、ついに彼女が上京してきたのである。インスタグラムのコメントをきっかけにやり取りをし、この日の会合が決まった。

 

とりあえず、結果から言うと超楽しかった。し、お互いの10年を数時間で回収するのは到底無理だった。話したいことが止まらない。在学中の倍以上は喋った。1つ喋ると10の枝が出る。どれくらい喋ったかというと彼女が終電のことを忘れて無事逃してしまったくらいには喋った。

中学の友達とは98%疎遠になっている私はもう地元の同級生のことを全く知らない。そもそも誰がいたか思い出すところから結構難儀だった。あいつは結婚してもうすぐパパだ、あの子はあいつと付き合ってる、あの子はいまキャバ嬢になってる‥、初耳な話ばっかりでめっちゃ面白かった。のと同時に、少しだけ悲しくなった。

あの頃の女子特有の派閥問題。あの子、あの頃私のことどう思ってたかな?今も嫌ってないかな?インスタフォローされてホッとした。逆にあの子のフォローはビビった。 あの頃はどうかしてた。くだらなかったね。つまらなかったね。どれもこれも「今だから言える」ことだった。記憶を水に流すことは出来ないけれど、供養できることはあるのかなと思った。

 

あともうひとつ、私は多分当時から比べると相当社交的になった(と思っている)。当時は引っ込み思案とビビリ具合が今の倍くらいだったから、全然意思表示しないし、なんかよくわかんない奴だっただろうなと思っていた。ので、「私多分絡みづらい奴だったと思うんだよねw」みたいなことを零したら「嫌なイメージなかったけどな?」と。なるほど、ありがとう。じゃあ‥「害はないけど特段なにもない的な?w」と言ったら、ワンテンポ遅れて2人で「wwwwwwww」となった。やっぱりなぁ〜〜〜。

あの頃キツかったよね、ならそれはそれで良かったのだ。「印象のない奴」が1番辛い。あの頃の私は多分「それ」だった(その後は印象的な人間だったのかと言われるとわからないが)。今の私はちゃんと印象のある人間になれているかな??

そんな感じでたわいもない思い出話を「時効時効〜ッ!」ってノリで語り合った。あの頃の自分がどんな存在だったのかも再確認したし、改めてもう10年経つんだね、すげぇな。って思った。お互いが10年無事に生きて今ここで酒飲んでるのすげぇなって。生きてるってすげぇな。命ってすげぇな。記憶ってすげぇな。スッゲーーーーーナッ!!!人生を感じた(壮大)

 

なんかさ。

辛いのは今だけだよ!とかいう言葉は微塵も励ましにならないことはわかってるんだ。未来がどうこうじゃなくて今が死にたくなるほど嫌なんだもん。でもその未来とやらに辿り着いてみたら、思ったより自分正解だったじゃんって思えること結構あると思うの。そういう苦しみを知っている人ほど、本当は沢山正解していると思うの。

そういえば合流したとき、彼女はさらりと「今日は答え合わせしよう!」と言っていたけれど、この日は私にとって本当に「答え合わせ」だった。ひとつ荷物を下ろせた気がした。

 

これ、いつか本人に読まれてしまったらすごく恥ずかしいな(笑)でも私にとってはそれだけの意味を持った夜だった。

 

こういうことが起きる年齢に来ているのかぁ。という感慨深さと共に締めさせていただきます。

 

 

 

そういえば昔ロッ○ンオン関係の某サイトに記事載せてもらった時、すぐ私が書いたものだと気付いて「良い記事!」って連絡くれたのこの子だったな。もう一度人生クロスするのは運命だったのかもしれない。

 

 

占いと運命は都合いいときだけ信じる派♡

 

 

まったねー!

 

 

 

 

生活、ネット、音楽

この記事を書くにあたって「ヒット曲を出した後のシングルにプレッシャーを感じるミュージシャンの気持ち」がわかった気がしました。

 

雑記① 早く寒くなれ

こないだの台風が去ってからしばらく、なんか絶妙〜に高い気温がキープされていた。やめてほしい。もう夏は終わったんだ。未練がましいぞ。やめてほしい。お前が夏を引きずるからマンションの階段の手すりにクソでかいゴキブリが出るんだよォ!もうね、サイズ感がすごいんだよね。しかも今年多い。こないだ近所に住んでる友達からカレー食べよ!ってラインが来て、21時前に家を出ようとしたんですよ。そしたら、ドアと通路の段差のところっていうの?ドアの麓的な?ところに、黒い影が佇んでいたんですよ‥‥。勢いで出て仕舞えば良かったのに、私は静かかつ迅速に扉を閉めてしまって、そのあともう一度扉開ける勇気出るまで10分はかかりました。友達カレー屋でめっちゃ待たせました。そっと扉を開けて存在を再度確認すると、驚かせないように玄関の段差にあるまじき見事な半円を描いて通路に飛び降り、猛烈にドアから距離を置いて鍵を閉めて無事外出。死んでんの?ってくらい動かなかったんだけど、深夜3時に帰宅したらいなくなってて心底気持ち悪かったです‥。ほんとこの点においてだけなんだよな東京の不満点。ゴキブリに会うたびに仙台が恋しくなります(理由が酷い)。管理人室にダスキンのおじさんを常駐させてほしい。もしくは虫取りコールシステムみたいなのほしい。「すみません!虫が出ました!ゴキブリです!住所を言います!」って言うと近くの虫取り達人が来てくれるやつ。頼む。

 

雑記② 同業者はダメなのかい

リツイートか何かで回ってきたあるバンドマンのツイートを見て考えたことなんだけど。同業者である他バンドをツイッターとかでゴリ押ししたりするのってどうなの?って言われるけどそれがどうなの?っていう話。

私はバリバリのライブハウス通いキッズだったので基本的にカッケー!と思ったらリンク付きでツイートしたりしてガシガシオススメするスタンスでSNSをやってきた。周りにもそういう子が多くて、それをきっかけに好きになった音楽もたくさんある。

けど、自分が活動を始めてからは確かに「こういうのってあんまり言わない方がいいのかな?」って自制をかけるようになったところってあって。まぁ今の私など影響力のカケラもないので気にする必要もないのですが。特に国内のライブハウスバンドとかね。ミスチルとかColdplayをヤベー!って言っても何も言われないだろうし。

とりあえず私は「好きなミュージシャンの好きなミュージシャン超知りたい派」なのでガンガン発信してくれた方が嬉しいなぁ〜って思う。誰しもいろんな音楽から影響を受けているし、楽曲にもそのルーツのエッセンスは少なからず加えられているだろうから、辿るほどたくさん枝分かれして好きな音楽増えていって最高しか生まれないと思うけどなぁ。プライドとかなんとかはまた別問題でしょう。他人の作品を褒めること=自分が負けた ではないし。

あ、あれかなぁ。あんまり好きなもの言いすぎると、何を出しても「あれっぽい、これっぽい」になってしまうからなのかなぁ。でもそれは自己責任だもんねぇ‥。それともこう‥いや やめとこうかな‥(笑)ううう正解のない思考は楽しいな‥。

人並み以上には音楽好きだと思ってるけど(当たり前)、やっぱ努力してても結構偏食になってしまうし、リスナーとしてもまだまだ浅いと思ってるからみんなステキな音楽どんどん教えておくれよ〜〜〜!

ちなみに私が今年の夏どハマりしたのはFINLANDSとKing Gnuでした。なんかね感性の時空が歪んでるのか知らんけど、だいたいが知ってから1年くらいのタイムラグでハマるんだよね。どうにかしたいよね。笑

 

雑記③ 次のライブ

10月後半3本ライブがあるよ。

次回16日はやちよゆゆさんの番組にお誘いいただきまして(嬉しすぎる)、配信があるので遠方の方も是非。ホームページにURLとか貼ってます。トークメインなのだけど、挙動のキモさがバレないようにすることと、余計なことを言わないことをマジで徹底したいので応援してください‥。もう本当ね、余計なこと言う言うマンなんですよ‥。とは言え話すことは大好きなので、緊張しつつも楽しみにしているイベントです。自制心ッ

そのあとは19日お馴染み無善寺、25日はじめての下北沢(わーい!)と続きます。少しずつ大丈夫になりたい。

 

 

なんかいつも長ったらしくて論文じみたブログばかり書いてしまうんだけど、こういう形だとゆるっと書けていいね〜。どっちがいいんだろ〜? まぁ気分でいろいろ書くので暇つぶしでもなんでも読んでくれたら嬉しいよ〜。

 

今日も1日自分を守り切った自分に拍手!

私はご褒美にインドカレーを食べました。

 

それじゃまたねん

 

 

 

明日からがんばれる

2018/9/29。

片山さゆ里さんの初ワンマンを目撃してきた。

 

こういうライブレポみたいなの最近はやめていたのだけど(個人的な理由)、うまく短くまとめられなかったから開き直って書くことにした。

 

 

アーティストや楽曲とリスナーとの間にはそれぞれのストーリーがあって、それぞれの届き方がある。私はあのライブを通して「大丈夫だよ」と言われたような気がした。

 

(以下めちゃくそに個人的な話)

 

ライブ告知などの各種発信からもわかるように、さゆゆさんはとてもマメで丁寧な方だ。

今回のワンマンの会場でもある無力無善寺、行ってみたいなと思いつつも(あの感じなので)なかなか勇気が出ずにいた2年前の私は、たまたまその日の出演者の中で唯一?がっつりツイッターを活用していたさゆゆさんに、FF外から失礼するゾ!的な感じでリプライを送った。初めてなんですけどフラッと行って大丈夫なんですか‥?的なやつだったと思う。そしたら、すっごく丁寧で優しい返信が届いた。安心した。階段を登って、扉の前でもだいぶまごまごしたがw、無事私は無善寺を門を叩く(?)ことができた。

 

そしてその日見たさゆゆさんのライブがすごく良かった。バスジャックとか万引きとか、なんつー題材?!と驚いたが、その視点で書こうという発想やフックの効いた言葉選びがとにかく凄いなと思った。「生きる」という詩のカバーもされていたのだが、小学生の頃教科書に載っていて何度も読んでいた詩、且つ当時はあまり意味がよくわかっていなかったその詩が、あのとき何百倍ものエネルギーを帯びてぐっさり刺さった記憶が今も残っている。

 

ライブ後ひとりひとりにプリクラを配布していた時も、リプライした者です‥と言うとめっちゃ優しく接してくれた。とにかくめちゃくちゃ良い人だと思った(突然の小並感)。

 

その後も度々第3木曜のさゆゆさんを見に行った。あの扉も躊躇いなく開けるようになった。いろいろと話もさせていただいた。なんかいつもうまく話せなくて、照れ臭くなってしまって言えなくて、今更こんなにいろいろ言ってすみませんという気持ちなのだけど、私はさゆゆさんの歌がすごく好き!!

 

自分も音楽をやりたいという気持ちはずっとあったから、始めた暁にはこんなふうにかっこよくなりたいなぁ、恩返ししたいなぁ、など思っていたので、一度辞める宣言(及び地元に帰る宣言)の時は、個人の人生!しゃーない!と思いつつも実は静かにショックを受けていた。

 

そんなこんなで歓喜のカムバック、そして迎えたこの日のワンマン。

ソファが(豪快に)外に放り出された満員の無善寺に着くなり、今日が来てほんとーーーによかったーーー!って思った。

 

 

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さゆゆ先生〜〜〜!

 

繊細さとえげつなさの使い分け、声質を活かした細くも芯のある高音、言葉の余白の作り方とか、とにかくひとつひとつが洗練されていて純度が高すぎた。

歌詞が強いうえに滑舌がとても良いのでとにかく聞き取りやすい。だから新曲もちゃんと聞き取れて、流し聴きにならずじっくりと聴けた。

遅れてきたお客さんが入ってくるたびに入り口にしっかり目を向けていたのも印象的だったなぁ。

 

個人的にはやはり歌詞をめちゃめちゃ聞いてしまうのだけど、Break の中の「誰かや何かを軽蔑してると安心する」という歌詞が私はすごく好きで。人は人だよね〜、全く同じ感性なんてないんだから他人を否定したくないよね〜、なんて思ってもやっぱり、マジこいつクソ!って気持ちで満たさないと耐えらんない瞬間とかあるし、私はこんな奴らとは違うもんね!って自己正当化と他者否定でバッキバキに尖ることで安定感を掴むこともある。私もそうだよ!って手を挙げたくなる(笑)

 

冒頭に歌った 秘密 の「たまに人づてに名前を聞いて 元気だってことは知ってる」。これもアーーーーーーーッてなった。このアーーーーーーーッを的確に言語化できない自分の語彙力を呪う。人と人の距離感、あの頃が終わって恐らくもう交わることはない人生、でもさよならでもリセットでもない、あのなんともいえない切なさというか、人と人って終わらないんだな、みたいな、アーーーーーーーッ。すみません修行します語彙を。

 

あんまり書きすぎてもアレだからこの辺にしておくけれど、どこを切り取っても100%を超えた何かが溢れていてあっという間の時間だった。

 

あっ、一個だけ。

守護神 の「この絶景に拍手を」って歌詞、初めて聴いた時から勝手に響くべき景色を想像してたんだけど、やはりこういう瞬間にしぬほどかっこいいやつやな!と思ったね。あの時さゆゆさんもとっても良い顔をされていたよね!

 

 

開演前も終演後も客側があまりにも静かで、通夜みたいだ!ってくだりでようやく笑いが起きる、ってのが何回かあったけれど、でも決して重たい空気ではなかった。それぞれが楽しみにしていて、それぞれが余韻を噛み締めている感じ。終始とても優しい時間が流れていたなぁと思う。

 

新譜、iPhoneにも取り込んで何度も聴いている。凄く良いです。ソフトケースってかわいいね。歌詞カードももちろん全部読みながら、聴いた。凄く良いです。驚異的暴風雨で家が揺れる夜中にもそっと安心を届けてくれました(マジやばかった台風)。

 

苦しさとか辛さとかは個々人だから、比較するものではないのだろうけど、きっと物凄い数の、物凄い高さの壁をたくさん乗り越えて今に立っている人だから、その佇まいと澄んだ音楽がくれる勇気と優しさはとても力強かった。まっすぐな生き様がそのまま作品に出ている。「大丈夫、君もやっていけるよ」って言われてるような気がして、それは私にとってどこまでも救いだった。

 

 

単独行動が好きで、社交性も最低限しかなくて、上京してもクソ狭いコミュニティ、っていうかもはやコミュニティと呼べるレベルのものなんてほぼなかった私が最初に出会った"東京の人"がさゆゆさんで本当に良かったなぁって思っている。

 

時を経て、私も少し前からものづくりの側に立つ人間になったけれど、これからも片山さゆ里ファンだし、憧れだし、自分自身、もっともっといろんなことちゃんとしたい、がんばりたい、乗り越えたい、そう強く思えた日だった。

 

素敵なライブをありがとうございました!

 

 

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踏むと恋愛成就ポイントが貯まるペダル

 

 

 

 

 

普通に生きている

だいぶ夜も深いところに来たね。

明日も仕事だけどどうしてもこのブログは上げたくてこんな時間になってしまった。

 

今日(っていうかもう昨日)は、高円寺 無力無善寺にて、cosmo confusionさんのゲストとしてライブに参加させていただきました。

私は今年の3月に同じ場所で初ライブをしたのですが、まさにその日にご縁があり、ちょうど半年ほど経った今日、このような形で参加させて頂く運びとなりました。まずはお誘いいただき本当にありがとうございました。とても新鮮な経験でした。

観に来てくれた方々も本当に嬉しかったです。ありがとうございます。

 

で、本番では言い回しの違いがあったりアドリブで喋った部分もあったりしたのですが、以下私が語った全文です。言いたいことがあるから載せます。

 

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空にあるはずの暗闇が地を這って

君は死んだ


何かを成し遂げたいとか

何になりたいとか

剥き出しに並べ立てれば

大人は喜ぶ


僕らはそれに乗せられていた


"普通に生きていると思う"

君はそう綴っていた


あれから10年が経つ

君はもう居ない


話したこともない

同じコンクリートに囲われていた

ただそれだけが繋ぐ

君の誰よりもささやかで切実な願いが

圧倒的に届かない世界など

消えて仕舞えばいいと思った


当たり前が当たり前じゃないこと

前提が前提ではないこと

約束された明日などないこと


普通ってなんだ


薄い再生紙に無機質に並ぶカタカナは

プラスチックみたいに無感情だ


知らぬ命の羅列

現存しない命の羅列


実感のない喪失

消耗し切った葬列


2度と揃わない名簿

願いだけが待ちぼうけ


元気でいて

幸せになって

夢を叶えて


宛先を失った言葉は

穏やかな潮の上を漂った


不平等だの理不尽だの

僕たちはどこまで思い上がる?


わかってるけど

わかってるけどさ

そんなのわかんないよ

わかるわけないよね


あの人の分まで

なんて出来るわけもない


平等なものなどひとつだけだ


あの監獄のような

狭い狭い世界の中で生きられなくても

幸せでいられる世界なんて

いくらでもあったこと


僕がそれを知れたように

君も知っていたのかな

 

顔すらはっきり思い出せない君が

あの日書き連ねた言葉が

今もずっと

忘れられなくて


忘れられなくて

 

その答えを探して いま 息をしています


どうか

 

どうか、君の守りたかった愛が

ずっと"普通"に存在し続けますように

 

君が願った"普通"が

奇跡みたいに"普通"であり続けますように

 

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私は宮城県仙台市で生まれ育ちました。

高2の3月に東日本大震災が起きて、あの津波で中学の同級生が3人亡くなりました。その中の1人の卒業文集の内容が今もずっと忘れられなくて、これはそこから広げて書いたものです。

 

亡くなった3人とは同じクラスになったこともなく、1回話したことあるかないか、みたいな関係性でした。震災から少し日が経って高校が再開した頃、中学の友達を私の父親が運転する車に乗せたとき、彼らが見つかっていない、亡くなったかもしれない、という話を聞きました。当然中学を卒業してから一度も見ていなかったので、実感もわかず、涙も出ず、ただただ「えっ、そっか‥」としか言えませんでした。

私はそれから毎日河北新報の死者名欄を確認しました。カタカナでみっちりと書き込まれた名前の持ち主は全員もうこの世にいない。そう思うと本当にゾッとしました。

確認を続けること何日目だったか、ついに2人の名前がそこに印字されていました。これ以上空になることのない心がもっと空っぽになったような気持ちになりました。残る1人はその後もずっと見つからず、私が知っている情報もそこまでです。

 

自分の生活が日常を取り戻し始めた頃、ふと中学の卒業文集を開きました。私たちの学年は全員が「10年後の自分へ」をテーマに書いていました。10年後の自分の存在を疑いもせずに。

 

その3人の中の1人の文集。

そのまま書くのはさすがにちょっとアレなのでざっくり言うと、そこには「未来の僕は何をしているかわからないけど、多分僕は普通に生きていると思います。」といった内容が書かれていました。

このテーマを与えられると、「プロ野球選手になって〜」とか「ネイリストになれましたか?」とか、大半がそういうわかりやすい夢のようなものを書くことでしょう。そんな中に少数いた「よくわかんないけど生きてんじゃん?」みたいな温度感で書いている人たちの文集を、受け取った当時の私は正直「つまんねーやつw」と思っていました。

あの文集を綴ってからたったの3年後に、彼のその願いはもう断たれてしまったのです。そして今年であの文集からちょうど10年。

 

「普通に生きてる」って何だろう?

あの日からずっとその思いが頭の中を巡っています。彼が願った普通って何だったんだろう。私が願う普通って何なんだろう。

死を以って誰かに何かを伝えること。死という事実があるからこそ伝わり得ることもあるのだろうけど、それでも、そんなのあんまりだと思ってしまう。

 

あのとき彼が願っていた「普通」とは何だったのかを知る術はもはや無いけれど、私は私なりの、私が信じる"普通"を可能な限り守っていきたいと思っています。今日はただただその祈りでした。

 

書いて読むたびに涙が出てきてしまって、本番どーすんねんと思ってたら本番も思いっきり涙出てしまいましたね。鼻垂れになっててすみません。

いつか外へ伝えなければいけないことだと思ってはいたものの、そのまま歌にしてしまうのはなんか違う気がして、だからこういう形で落とし込めたのは良かったなと思っています。

 

あの場で聞いてくれた方にも、これを読んでくれている方にも、何かが届いていれば良いなぁと思います。

 

 

おやすみなさい。

 

 

 

お前のために生きてない

この夏はセルフネイルにハマった。マニキュアは薬局で買う。グリッターやラインストーンもあえて全部ダイソーで揃える。デザインは1から自分で考える。私はセンスがあるのでめちゃくちゃ可愛く仕上がる。何かと目に入る爪の先がキラキラしているのは楽しいし何より可愛い。自分で自分の可愛いを作り出す。でもそれはお前のためじゃない。

 

夕方になっても崩れない優秀なアイライナーを教えてもらった。フェスで半日外にいても、炎天下を汗だくで歩いてもヨレない優れもので、手直しも楽だった。嬉しくなって、化粧がまた1段階楽しくなった。武装して歩ける外ぐらい、少しでも良い方の私になりたい。でもそれはお前のためじゃない。

 

年がら年中素敵な服を着たい。素敵だと思われる服装をしたい。自分がいちばん素敵に見える服を着て歩きたい。でもそれはお前のためじゃない。

 

ちょっと太ったから痩せようと思った。綺麗に水着を着たいと思った。食事制限を頑張って少しすっきりした身体で良い写真が撮れた。これはインスタに上げよう。でもそれはお前のためじゃない。

 

 

私が私を良くしたいのは、きれいになりたいのは、全て自分がこの混濁した世界をなんとか生きていくためにやっていることで、お前のためじゃない。お前のためにやってることなんてひとつもない。

世の中の女が自分を高めようとする理由が全て男を意識しているなんて思い上がりもいいところだ。(ほかの人は違うかもしれないけど)私は、私を選びたいと思える私になろう、ただそれだけのためにやっている。お前にラベリングされる筋合いはないし、頼んでもない格付けされる意味もわからないし、お門違いも大概にしてほしい。

 

なんで女に生まれたんだ。めんどくさい。何も得しない。めんどくさい。それでも私はおしゃれをサボろうとは思わないし、ちゃんと化粧もするし、ネイルもするし、髪も可愛く染める。わかりますか。なんでも一括りに、簡単に性に変換するな。女というカテゴリで判断するな。私は男とか女とかじゃなくてただ1人の人間として判断されたいだけなのにそれすら上手くいかなくて本当にめんどくさい。こういうのが思い通りに伝わらないこと、わかってもらえないことなんてとうの昔にわかっていたのに、歳を重ねるほどに耐えられなくて絶望する。

 

私はお前のために生きてない。

 

 

気配ないよね

とよく言われる。

 

山手線の帰宅ラッシュ、駅のホームで割と頻繁にすごい肩タックルを食らう。こういうことをする人間は性格とかそういうこと以前に色々と問題があると思う。東京だからって許されると思うなクソが、と思いながら振り返りざまに殺気立った睨みをぶつける毎日である。でももしかしたら私は気配がないので認識されていないのかもしれないな。実は夕陽越しに伸びる影も薄いのかもしれない。

実家に住んでいた頃も、夕飯の支度をする母親の後ろを普通に裸足でペタペタ歩いて冷蔵庫を開けると驚かれた。冷蔵庫を開ける音がするまで気付いてもらえない。いや、もしかしたら料理に集中していて気付かなかったのかもしれない。

3部屋ほどの決して広くないアパート。どこに行くにも茶の間を通る。誰がどこにいるかなんてすぐわかる間取りなのに、茶の間から呼ばれて「えー?」って言うと「あ、そっちの部屋にいたの」って言われるのも茶飯事。完全に視界に入るところ通って移動してても気付いて頂けない。さすがにこの辺になると気付いてもらえない理由が見つからなくなってきて、マジで気配ないんだな‥と凹んでくる。図体はでかいのにな‥。歩くのも決して静かではないし、見た目も特段地味ではないと思うんだけど。もうこれはミステリー。

学校でもそう。

小部屋にこちゃっと集まってる時とか、パッと見で全員認識できるような状況でも、仲良い子にすら最初気付いてもらえなかったり。明らかに視界に入る角度から近付いても驚かれたり。なんでなん。

会社でもそう。

前職「えっ?!いたの?!ヌボーーーッと立ってないでよ怖い」→ さっきからずっといたし突っ立ってない、それなりに動いていた。

現職「物音も立てないし全然気配ないよねー!」→めっちゃでかいくしゃみするし、キーボードも景気良く叩いてるし、しょっちゅうお菓子の袋バリバリ開けている。なんでなん。

 

不思議すぎて「気配がない人 特徴」でググったことがある。この検索履歴を最後に死んだりしたらすごく恥ずかしい。

いろいろ出てくるんだけど、読んでも自分の今の性格や普段の立ち回りを考えるといまいち合致しない。し、信ぴょう性のないサイトばっかりで結局モヤモヤするだけだった。

でも、今改めて調べたらヒットしなかったのだけど、前にどこかのサイトで「無意識にコミュニケーションを避けてる人」みたいなのを見た。あーーーそれはあるかもしれない。(今も陽キャではないという前提のもと)子供の頃は今の10倍くらい引っ込み思案の陰キャだったから、その頃からの無意識なのかもしれないね。意見が言えない。でもそこには居たい。話を投げられても困るけど、そこには居たい。困らずにそこに居続けられるように。だったのかなぁ。知らんけど〜。

あまりにも気付いてもらえないとちょっと切なくもなるけれど、これめんどくさくなりそうだな〜って思ったらナチュラルに気配殺して回避出来るし、悪いことばかりでもないんだけどね。

気配がないもの同士でお茶しに行ったりしたらもうそれはそこにちゃんと自分たちが存在しているのか不安になってくるな。どうしよう店員さんがそちらの席どうぞ〜って新しいお客さん通したら。幽霊か。幽霊なのか。

 

 

これ特に着地点はない話なので終わり方がわからない。気配くれ。生気くれ。濃いめの影くれ。

それらがしっかり己から放たれて満たされる場所を探して生きているのかもしれないね〜。知らんけど。

 

し、ら、ん、け、ど〜〜〜ッ(魔法の無責任ワード)

 

 

オーラが見える系の友達に以前「菅田将暉と同じオーラが出てる」って言われたこと以外は信じないことにします。スピリチュアルなことは良いことだけ過剰に信じるスタイル。

 

 

 

 

 

オタク(体質)であること

オタク(偏愛)というものはそう簡単に辞められるものではないのだな、と痛感したサマーバケーション前半戦であった。本当は何千字もかけてクソ細かい感想を書いたりツイッターに荒ぶる投稿をしたいんだ、でもそれはもうやらないんだ!!!(ってことをわざわざ言うからダメなんですよ)

 

「オタク」という言葉やその定義は昨今かなりゆるくカジュアルなものになっていると思う。

私が記憶している限り「オタク」というものが世間に広まったのは 電車男 のときかな?と思っているのだけどどうだろう?違うかな?あの頃の「オタク」といえば、いわゆる秋葉原系の、萌えアニメ?の類のイメージが強かったし、シャツイン上げパン上げリュックにメガネスタイル!みたいなビジュアルイメージがすごかった。(地味にウケるのが言葉で並べるとこのオタクスタイルがいまオシャレとされてるファッションとどん被りしているところ。所詮着る人なのかい。流行なのかい。そうなのかい。) あんなんおるかい!と当時小学生の私は思っていたのだけど、今は無き「やたら魚臭い仙台のアニメイト」に行った際、毎度1人はあのスタイルのオタクさんがいたので マジでおるー! って感動した記憶がある。(ちなみに私の来店理由は主にハガレンやナルトのグッズだった。)

最近の「○○オタク」という括りの対象は本当に多種多様で、アニメや二次元に限らず「○○をこの上なく偏愛している」は大方オタクとして括られているのではなかろうか。こちらから探さずとも、アイドルオタ、ディズニーオタ、フィギュアスケートオタ、などなどいろんなオタクが私の周囲には生息している。その熱量たるや凄まじい。私自身はハガレンやナルト、テニプリなどをやや拗らせた漫画オタ(この頃特に妄想癖もすごかった)、男子バレーオタ、サッカーオタなどを経て現在に至っている。過去にハマっていたものも飽きたわけではないので、漫画作品は今も変わらず好きだし、スポーツも中継があれば見るし、ハマっていた頃に細かいルールや選手を覚えまくっていたので、その知識で今も楽しめる。あるあるだけど、サッカーのオフサイドとか特にわからなくてめちゃ研究した。現在の事情は黙っておく。

話を戻す。オタクというものの定義が広がり生活に溶け込んでいる今、「逆にオタクじゃない人ってどんな人なんだ?」と思ってくる。身近にいる人で考えてみる。文字に起こすとめちゃディスりみたいな文面になりそうだけど悪意はないので許してほしい。(基本的に私自身の感覚を軸に書いてるのでわしは違うとか言われても何も言えない)

なんとなく、非オタクは基本的に「時代適応体質」だなぁと思う。ものすごい速さで回る流行りものを掻い摘んで乗りこなしている。これ、すごいことだと思う。あかんオタクは割とこれできない。少なくとも私はできていない。恐らくこれを乗りこなしている人は「世間の流行」と「自分の流行」のバランスをうまく取っているのだけど、オタクはあからさまに後者に偏りがちなので、非オタクといろんなところで噛み合わなくなる。最たるものはカラオケだろうけど、もっと大きい話で言うと、金銭感覚とか、感動指数とか、あと恋愛観とかも大幅にズレがち。マジで合わん。いや別に合わなくていいんだけど、それでその場の空気が変な感じになるのとかすごいヤダ。笑

いろんなラーメン屋を1回ずつ訪ねているタイプと、気に入ったラーメン屋に何度も並び続けるタイプってことかなぁ。などと考えると、やはりどちらが正解とかはないなぁと思う。(ラーメン屋巡りのオタクもいるだろう!という意見もあると思うけど、そこまで言わしめる人は大抵麺やスープ、系列・暖簾分け等々の知識も半端じゃない。ここではそうじゃなくて、ただ有名なラーメンを食べて回るライト層みたいな意味合いで書いている。)

 

正解はないという大前提のもと、私個人の考えとして、「オタクな人生」か「オタクでない人生」ならば、前者でありたいなと思う。そちらに価値を感じる。流行りものを掻い摘み続けたとして、そのひとつひとつの記憶ってどれだけ残っているのだろうか。インスタグラムが廃れたら、何が残っているのだろうか。私はいつも何かにのめり込み続けたい。どこかでその対象が変わることがあっても、そのひとつひとつに今の全てを注ぎ込んで愛したものの記憶は絶対に消えないと思うから。そして、何かにどっぷり浸かってる人の目はとっても生き生きしている。アイドルのライブに行ったあとの友達に会うと生命エネルギーが+100くらいになっていて、(素面の私には少々受け止めきれないのも事実だけど)とっても素晴らしいことだよね〜!と思う。ひとりひとりにこのエネルギーを与えているアイドルもまた凄まじいのだけど‥。

 

類は友を呼ぶというのは本当で、無意識にそういう友達ばかりの中で生きてきたけど、環境が変わったりする中で「そうではない人」にも出会うようになって、そういうことを考えるようになりました。という話でした。

何でもいい、愛するものや人に対して、自分に何が出来るのだろう、何がしたいのだろう、どんな存在でありたいのだろう、そう考えながら生きる毎日は尊いと思います。

 

私はイヤホン越しに何千回も失恋し続けていますが元気です。今日も生き延びような!