ミラクルクリームソーダ

いい加減にしてください

普通に生きている

だいぶ夜も深いところに来たね。

明日も仕事だけどどうしてもこのブログは上げたくてこんな時間になってしまった。

 

今日(っていうかもう昨日)は、高円寺 無力無善寺にて、cosmo confusionさんのゲストとしてライブに参加させていただきました。

私は今年の3月に同じ場所で初ライブをしたのですが、まさにその日にご縁があり、ちょうど半年ほど経った今日、このような形で参加させて頂く運びとなりました。まずはお誘いいただき本当にありがとうございました。とても新鮮な経験でした。

観に来てくれた方々も本当に嬉しかったです。ありがとうございます。

 

で、本番では言い回しの違いがあったりアドリブで喋った部分もあったりしたのですが、以下私が語った全文です。言いたいことがあるから載せます。

 

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空にあるはずの暗闇が地を這って

君は死んだ


何かを成し遂げたいとか

何になりたいとか

剥き出しに並べ立てれば

大人は喜ぶ


僕らはそれに乗せられていた


"普通に生きていると思う"

君はそう綴っていた


あれから10年が経つ

君はもう居ない


話したこともない

同じコンクリートに囲われていた

ただそれだけが繋ぐ

君の誰よりもささやかで切実な願いが

圧倒的に届かない世界など

消えて仕舞えばいいと思った


当たり前が当たり前じゃないこと

前提が前提ではないこと

約束された明日などないこと


普通ってなんだ


薄い再生紙に無機質に並ぶカタカナは

プラスチックみたいに無感情だ


知らぬ命の羅列

現存しない命の羅列


実感のない喪失

消耗し切った葬列


2度と揃わない名簿

願いだけが待ちぼうけ


元気でいて

幸せになって

夢を叶えて


宛先を失った言葉は

穏やかな潮の上を漂った


不平等だの理不尽だの

僕たちはどこまで思い上がる?


わかってるけど

わかってるけどさ

そんなのわかんないよ

わかるわけないよね


あの人の分まで

なんて出来るわけもない


平等なものなどひとつだけだ


あの監獄のような

狭い狭い世界の中で生きられなくても

幸せでいられる世界なんて

いくらでもあったこと


僕がそれを知れたように

君も知っていたのかな

 

顔すらはっきり思い出せない君が

あの日書き連ねた言葉が

今もずっと

忘れられなくて


忘れられなくて

 

その答えを探して いま 息をしています


どうか

 

どうか、君の守りたかった愛が

ずっと"普通"に存在し続けますように

 

君が願った"普通"が

奇跡みたいに"普通"であり続けますように

 

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私は宮城県仙台市で生まれ育ちました。

高2の3月に東日本大震災が起きて、あの津波で中学の同級生が3人亡くなりました。その中の1人の卒業文集の内容が今もずっと忘れられなくて、これはそこから広げて書いたものです。

 

亡くなった3人とは同じクラスになったこともなく、1回話したことあるかないか、みたいな関係性でした。震災から少し日が経って高校が再開した頃、中学の友達を私の父親が運転する車に乗せたとき、彼らが見つかっていない、亡くなったかもしれない、という話を聞きました。当然中学を卒業してから一度も見ていなかったので、実感もわかず、涙も出ず、ただただ「えっ、そっか‥」としか言えませんでした。

私はそれから毎日河北新報の死者名欄を確認しました。カタカナでみっちりと書き込まれた名前の持ち主は全員もうこの世にいない。そう思うと本当にゾッとしました。

確認を続けること何日目だったか、ついに2人の名前がそこに印字されていました。これ以上空になることのない心がもっと空っぽになったような気持ちになりました。残る1人はその後もずっと見つからず、私が知っている情報もそこまでです。

 

自分の生活が日常を取り戻し始めた頃、ふと中学の卒業文集を開きました。私たちの学年は全員が「10年後の自分へ」をテーマに書いていました。10年後の自分の存在を疑いもせずに。

 

その3人の中の1人の文集。

そのまま書くのはさすがにちょっとアレなのでざっくり言うと、そこには「未来の僕は何をしているかわからないけど、多分僕は普通に生きていると思います。」といった内容が書かれていました。

このテーマを与えられると、「プロ野球選手になって〜」とか「ネイリストになれましたか?」とか、大半がそういうわかりやすい夢のようなものを書くことでしょう。そんな中に少数いた「よくわかんないけど生きてんじゃん?」みたいな温度感で書いている人たちの文集を、受け取った当時の私は正直「つまんねーやつw」と思っていました。

あの文集を綴ってからたったの3年後に、彼のその願いはもう断たれてしまったのです。そして今年であの文集からちょうど10年。

 

「普通に生きてる」って何だろう?

あの日からずっとその思いが頭の中を巡っています。彼が願った普通って何だったんだろう。私が願う普通って何なんだろう。

死を以って誰かに何かを伝えること。死という事実があるからこそ伝わり得ることもあるのだろうけど、それでも、そんなのあんまりだと思ってしまう。

 

あのとき彼が願っていた「普通」とは何だったのかを知る術はもはや無いけれど、私は私なりの、私が信じる"普通"を可能な限り守っていきたいと思っています。今日はただただその祈りでした。

 

書いて読むたびに涙が出てきてしまって、本番どーすんねんと思ってたら本番も思いっきり涙出てしまいましたね。鼻垂れになっててすみません。

いつか外へ伝えなければいけないことだと思ってはいたものの、そのまま歌にしてしまうのはなんか違う気がして、だからこういう形で落とし込めたのは良かったなと思っています。

 

あの場で聞いてくれた方にも、これを読んでくれている方にも、何かが届いていれば良いなぁと思います。

 

 

おやすみなさい。